大切に使われていた機械には、臭いが残っている。


工房に、日本精密のBDK-300がやってきました。
最初に見たときは、 「ものすごく程度がいいな」と思いました。
でも、しばらく眺めていると、 少し違う気がしてきました。
程度がいいのではなく、 大切に使われていた。
その痕跡が、そこかしこに残っています。
うっすらと纏ったオイル。
小さな傷には、その都度きちんと塗料が差してある。
そして電源ケーブルには、 長いあいだ同じように束ねられてきた、 8の字のクセが残っている。

使う。
手入れする。
油を差す。
傷を見つければ補修する。
ケーブルを束ねて、仕舞う。
たぶん毎回、 そんな小さな「仕舞いの儀式」があったのでしょう。
機械そのものだけではなく、 前の持ち主がどう道具と付き合ってきたのかまで、 薄く残っているように見えます。

honuには、こうして残ってきた機械がいくつかあります。
ナカニシNSKのリューターも、 甲府の貴石加工機イマハシも、 故・刀根川さんが残してくれたものです。
どれも、気軽に買い足せるような道具ではありません。
だからこそ、 こういう機会がないと、 「本物の機械がどういうものなのか」を直に知ることはなかなかできない。

偽物を見分けたければ、本物を見る。
素材でも、道具でも、仕事でも、 結局ここに戻ってくる気がします。
写真やスペックだけでは分からない重さ。
ノブを回した時の感触。
音。
油の臭い。
長く使われた金属の艶。
そういうものを身体で知っているかどうかは、 作品を見る眼にも、たぶんそのまま出ます。
honuで作っているものは、 最後にはできるだけ澄ませたいと思っています。
でも、 美しいものだけを見て、 美しいものが作れるわけではない。
油の臭い。
金属の音。
削り粉。
傷。
手直し。
失敗。
待つ時間。
そういう、 まだ作品になる前の世界を一度通って、 ようやく最後に「香り」になる。
完成した香りの部分は、 ある程度なら真似できるのかもしれません。
形も、色も、素材の組み合わせも、 見れば追うことはできる。
でも、その手前にある、 土を這うような臭いの世界まで含めて真似するのは難しい。
たぶん、 その見えない部分が、 最後のわずかな違いになるのだと思います。
今回のBDK-300も、 必死に探して買い漁ったというより、 待っていたら、ある時ふっとhonuへ回ってきました。
「ご縁」という言葉は、 少し綺麗すぎる気がします。
honuでは、 繋がった くらいがちょうどいい。
人から人へ。
道具から仕事へ。
仕事から作品へ。
必要なものを急いで全部揃えなくてもいい。
待っていると、 ある時ふっと繋がることがある。
それも、 長くここで仕事を続けてきて、 少しずつ分かってきたことのひとつです。
今回やってきたBDK-300は、 破格ともいえる価格でした。
でも、金額以上に嬉しかったのは、 この機械が、 ちゃんと大切に使われてきたものだと感じられたこと。
丁寧に使われてきた道具なら、 こちらも雑には扱えない。
次はhonuで、 また長く働いてもらいます。
これで何を作るか。
それは、これからです。




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